Thursday, 31 July 2025

Afterword From a far way off thinking 2021



Afterword
From a far way off thinking

後記

遠いおもいから華埜井香澄先生に関するこのささやかな論考を、たとえ未熟でもできるならば書いてみたいと思い立ったのはすでに数年前からであったが、昨年2020年夏に、どうしても書いてみたいとおもうに至った大きな契機となったのは、序でも述べたように、実弟でいらっしゃる華埜井究氏のお話しとお手紙に接したことによる。ご兄弟でなければ表わすことができない先生の生涯の大切な事実が、氏の短いことばの一つ一つから、先生みずからが話されているかように私に伝わってきたからである。一昨年2019年に突然お電話したことに始まり、ご多忙の中で、お手紙をいただき、また執筆への励ましまでいただいたことに、重ねて深く感謝を申し述べます。

2018年に論考を書きはじめたいとおもいたち、先生に関する資料を調べ始めたとき、半世紀前の個人資料を調べることは予想を超えて困難であった。昨年ふたたび思い立ったとき、先生が死去されるまで勤められた和光大学の、教学支援室、附属図書館等の方々が私の要望をこまかに聴いて下さり、 本務に多忙な中で、私のために倉庫・書庫等の資料を確認し、送付してくださった。私はこのとき、この論考の作成は、もはや私一人のものではないことを深く自覚した。華埜井先生の事績は、個人的な追憶を超えて、和光大学の方々にも、またそこに学ぶ若き学生の方々にも、大学草創期の一つの明確な記録となるのではないかと感ずるようになったからである。

丘の上の小さな実験大学が残した、草創期の先生方と学生、そしてそれらを支え援助した職員の方々すべての数知れない努力の蓄積は、学ぶことの尊さと、それを実現することがいかに困難であるかをすべての人に伝えるであろう。そしてそこからまたまったく新しい飛翔がなされるであろう。また私個人の半世紀を振りかえるとき、早逝した先生は、私にとってどのようなものであったかとみずからに問う。書き続けるうちにひとつだけはっきりとしたことは、先生の姿が私の青春と折り重なるように存在していたということであった。

一度も直接お話したことがなかった先生は、一面遠い存在であったことは確かだった。ただ八歳だけ年上の先生は、私にとって、当時はまったく未確定であった生涯の主題や研究、広くいえば学問全体に対する深いあこがれを、常に身近に具現しておられた存在として映っていたのでなかったか。フランスの語学と文学、そしてその底に沈む信仰。私の20代を魅了し続けたヨーロッパの近代。書くことecriture の方法と言語そのものの未知。華埜井先生の存在は、そのいずれにも深く係わっていたように今はおもわれる。私自身がそのころ、何ものをも持たなかったがゆえに、先生の静かで端正な姿から、一つの確立を、私には多分、年を経ても決してそのようにはなれないことを感じながらも、以後深い追憶として、存し続けたのではなかったか。

古希を過ぎ、今夏6月で74歳となる私にとって、華埜井先生は変わることなく、つねに若く、端正であった。人はときに、一見間接的であるように思われながら、深い意味を帯びた追憶をもつことがあることを、この論考によって少しでも伝えることができるならば、1966年にフランス文化使節として来日し、幸運にもそのテレビ放送を視聴できたフランスの哲学者ガブリエル・マルセル Gabriel Marcel 1889-1973 が1961年にハーバード大学で行った講演「人間の尊厳」で、「本質的な問いは、自分の生涯が、見慣れた風景のように背後に展開され、しばしば模索したり、偶然に左右されたりした過去の道程を回想できるようになったときに、個人的な形で、一人称でのみ初めて提出されうるものだといえると思います。」と述べているように、私は私の提出した問いに、答えることができたのでしょうか。

東京
2021年3月20日 

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